人にやさしくするのが怖い。を、受け入れる。(言語化のちから)

お手紙

現在はずいぶん楽になったけれど、
人にやさしくすることや自分から相手に対して何かするという事が苦手でした。

それは自分が相手から利用されたり、
都合のいいコマのように扱われて傷つく事が怖かったことと、
相手の行動の責任を取りたくなくて逃げていたからでした。

傷つく事を恐れていたのはその思考の矢印が他人ではなく「私自身」に向けられていたこと。

そして相手の行動の責任を取りたくないのは、
「貴方のために」という言葉がとても重荷に感じていることと、
相手の「行動する、しない」と言う選択の責任さえも全て自分が背負い込んでしまおうとしていたこと、
そしてその結果責められる自分の姿しか想像できなかったからでした。

この年になってようやく幾分か他人と自分の境界線が引けるようになってきました。


と、言うのもその理由はやっぱり

きちんと自分の感情をノートやブログで書き出して、その自分の感情を深堀りして「本当は」何に傷つき、何を恐れ、何を悲しんでいたのかと言う一番深い理由をきちんと言語化してきたからだと思います。

それがもともと苦手だったり、
忙しすぎて深掘りする時間が無かったり、
それまでの日常が当たり前すぎて
自分を俯瞰したり理解する機会が無かったり、理由は様々だと思います。

自分を理解する

自分を受け入れる

自分を認める

言い方は人それぞれですが、

言語化し、理解し、受け入れる事でその後の人生が生きやすくなるのであれば、言語化の力は人生の早い段階で学んでおきたいことですよね。



と、言うことで
よかったら今日はゆっくりノートとペンを用意して、
こころの旅へ出かけてみませんか?

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今日も読んで下さりありがとうございました。

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